■旅行記 ”日本一周旅行” 28日目 : 回帰  (1996.09.04 Wed)

 札幌のおばちゃんのところには敵わないとは言え、随分長い滞在になった。三連泊というのも初めてである。しかしさすがに昨日のうちにこの砂浜を後にすることは考えられなかった。初めて泊まった次の日は一日中体を休め、そして翌日、つまり昨日は本当に充実した一日を過ごし、そして今日に至る。
 使い古した言葉だけれど、まさに「あっという間」であった。ここの夫婦は共働きだから、ずっと一緒というわけにはいかないので、それほど長居した、という感じも抱かなかった。そして今日も、準備をする僕を置いて仕事に出掛けるような具合であった。
 数日前まで知らず、それまでまったく何の繋がりもなかった人たちにほんとうにお世話になってしまった。札幌のみなさんもそれに近いものがあったけれど、やはり違いは明らかである。そんな僕にこんなに親切にしてくれて、感謝と驚きが交錯する、とても不思議な感動の連続だった。
 出発する時に、最後にどんなに堅い握手をしたことか。向こうはまるで母親のように「がんばってらっしゃい」と、笑顔で送ってくれた。とは言うものの僕の方が後に出るのでそのまま出掛けたのは奥さんの方なのだが、残された僕は、慣れていないせいか、ひどく寂しい思いがした。
 僕が来る前にも、バイク乗りの青年がここへ泊まってたことも何度もあったようだ。そして僕が滞在中にも、最初に登場した妙なカップルや、翌日海水パンツ姿で上がりこんできてビールを持って行った人々など、いろんな人がここにやって来て、そして帰っていくのである。やってくる事もそれほど一大事では無いから、もちろん帰っていくことも後に引くようなことがないようであった。
 もちろん、いちいち後に引いていたら、僕みたいな通りすがりと何十人、何百人と付き合わなければいけないわけで、確かにそんなわけにはいかないのだろう。
 実は昨夜、僕は思い切ってそういう気持ちを打ち明けてみたのだった。僕はとてつもない恩を受けて、とても返せないような借りができてしまったけれど、これをどう償ったらいいのか、と。明日帰るまでに何かできるわけではないし、無事に帰宅したとしても、すぐに大層な贈り物が出来るわけでもない。しかしこういう気持ちは収まらないとき、どうしたらいいのかと。
 そんな問いに対して、夫婦は一つも困りもせず、さも当たり前のようにこう答えた。「確かに今あなたは私たちに何もできないだろう。それはある意味当然で、それは私たちも知っているし、そういうことは最初から期待していない。けれど、私たちが若い頃だって同じような事で、先人たちにお世話になった。もちろん当時私たちだってその恩返しが出来なかった。だから今、直接お世話になった人たちに恩返しするわけではないけれど、そういう思いを大事にして、そういう思いを継承しているようなもので、私たちがあなたにこういう風に振舞っていることで、先人の恩に報いるしかない。でもそれが脈々と続いていったら、それはそれで先人たちも喜ぶだろうし、自分たちも嬉しく思う。だからあなたはこの先、今のあなたと同じような人がいたら、今の私たちと同じようにすればいい、それですべては丸くおさまるでしょう。きっと既にあなたは変わっていると思うし、分かっていると思う」と。
 僕は目頭が熱くなったというより、ほとんど泣いていた。一字一句覚えているわけではないから今のは意訳だけれど、それを聞いてしばらくは言葉が出ずに、下を向いて、半ばうなっていた。そしてその時、どうしてここにいる人々が、いつも日常で僕の周りにいる人々と違うのか、というのが分かった気がした。
 それを「人に助けてもらわなければやっていけない弱い人々」と思う人もいるかもしれない。でもそもそも、人は一人で何でも完遂し、完結させなければいけない、ということもない。よほど、人間味あふれるというか、人情味があって、そもそも人は一人では生きていけないのだから、当然といえば当然なのかもしれない。
 今まで感じる事もなく、身の回りでなかったのか、それともあったけれどただ気づかなかっただけかもしれないが、この二十数年間、こんな事を感じずに生きてきたのかと思うと、今となってはその方が不思議なくらいだ。
 さて、今日のことである。溢れんばかりの感情いっぱいに感傷に浸りつつ、遂にこの砂浜を後にしたのは、朝とも昼とも言えない時間であった。
 もう残された時間も少ない事だし、このまま帰路に就こうかと思ったが、僕の両親は新婚旅行で指宿(いぶすき)へ来た事があるというのを数日前に思い出して、目と鼻の先だし、そもそも日本一周というのにここで戻ってしまってはなんだか格好がつかないと思い行く事にした。それに、時間が無いとはいえ、すべての始まりだったカヌークラブの会長さんとぜひ会っておきたいと思い、結局今日中に鹿児島県内から出ることはないので、今は急いでも無駄なのである。
 それで、のんびりと向かった指宿であったが、びっくりするほど何も無かった。どうしてここが新婚旅行のメッカだったのかと不思議に思うくらいだったが、沖縄返還前であり、そもそも海外旅行など夢のまた夢という時代背景を考えれば、ここが辺境の地であろうがなんだろうが、自分たち以外は何も見えないような二人にとって、地理的、物理的に二人だけになるには格好の場所だったのだろう。単にそれだけか、単に流行っていたから、という他に、バイクを走らせながら見物しているだけの僕が見出せるものは何も無かった。しかし何となく「原点回帰」では無いけれど、すべての始まりの場所に挨拶に来たような妙な気持ちがして何となく心がくすぐったかった。
 指宿からの帰り、実はまたアパートの前を通り過ぎたけれども、誰もいないのは知っていたし、また寄るような事もしなかった。なぜか、「そんなことはしちゃいけないんだ」くらいに、気丈に通り過ぎたのが自分らしくて後でちょっと笑えた。
 さて、今度向かうは入来町である。橋の上で悩み通したあの川内市の方に戻るように走り、途中から山間部に入っていくと入来町へ行ける。この4週間どんどん走って進んでいる僕にとって、「戻る」というのはなんか気の進まぬことではあったけれど、この人がいなかったらこの夢のような数日間は無かった訳で、仮に日本一周がフイになっても、是が非でも会いに行く事にした。それにあの後も何度か電話で話した限りでは、ひどく歓迎してくれているようだったというのも、僕を後押ししてくれた。
 結果から言いうと、今度はその会長さんの家にお世話になってしまったわけだ。結局着いたのも遅くなってしまったし、お宅に着いた途端にビールをいただき、それで万事休すである。お互いに「まあ、それでいいでしょう」という暗黙の了解があったのだろうと思うが、お陰でまたまた楽しいひと時を過ごす事ができた。
 僕が伺ったとき、会長さんと近所のご友人さんと、そしてなんとあのカヌーイストの留守を預かっているマネージャーさんがいて、その四人で深夜まで話し込んでしまった。お友達とマネージャーさんはどちらも近所なのでそのまま帰り、僕はそのままそのダイニングにシュラフを敷いてすぐに眠り込んでしまった。

 
指宿駅前。何もかもが古臭く感じてしまった。
平日ということもあってか駅前に停まっている大量のタクシーもあまり出入りが無く寂しさを醸し出していた。
しかし確かに自然は豊かだった。


【走行距離】 本日:199km / 合計:6,744km
鹿児島県鹿児島市 〜 同薩摩郡入来町(現:薩摩川内市)

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