■旅行記 ”日本一周旅行” 27日目 : カヌーとラーメン  (1996.09.03 Tue)

 結局昨夜も語り明かしてしまった。旦那さんはさすがに夜半過ぎに寝たけれど、奥さんは仕事の時間にも余裕があるのでついつい話し込んでしまう。腹を抱えて笑ったり、時にはしんみり話したりと、前夜同様いろいろな話をした。
 思えば、尊敬するあのカヌーイストこそここにはいないけれど、しかし同じように尊敬できる、いや、それ以上のお人かもしれないと思うほどの夫婦がここにいる。ビジネスが成功し贅沢に暮らしているというわけではないけれど、人として、何か大切なもの、忘れてはならないものを体の真ん中に「どーん」と構えているような、そんな感じがする。それは理屈や口先ではとても動じないような、そんな力強いものに感じられた。
 僕の過ごした人生はまだまだ短いし、経験も少ないからほとんどが奥さんの話題だったが、夜が更けなければ出ることもなさそうな、人生の転機となる大きな出来事の話まで出てきて、こうして夜更かししてお酒を飲むのも悪くないなあと、酒に飲みなれていなかった僕はその時少しだけ思った。笑いだけでなく感動まで僕に与えてくれて、翌日の仕事の事を考えると少し恐縮だけれど、それ以上に感謝の気持ちが大きかった。
 さて、そんなわけで今日もまた起きるのは遅かった。ただ昨日、また旦那さんがいたずらっぽい笑顔を見せて、あのカヌーイストのカヌーに乗って桜島まで行って来い、と言うので、腰痛持ちの風邪っ引きだったけれど、無理してでもカヌーに乗ることに決めていたから昨日ほど遅くはなかった。そのカヌーはこの家の庭に置いてあって、使いたい人が使っているらしい。
 「女の人でも慣れてる人なら桜島まで30分くらいかな」などと言いつつ、砂浜で少しだけ乗り方を教えてもらった。乗り方というよりは、することと、してはいけないこと、である。お遊びカヌーでも必ずライフジャケットを着けろとか、転覆してしまったら諦めてすぐにカヌーから抜け出ること、遠くに見えるフェリーが自分を横切った後波が押し寄せるからフェリーの方向にカヌーを向けること、など、いろいろとアドバイスを受けたけれど、原則は自分の自由、そして自分の責任ということだった。こんなんで海に繰り出し、靄で少しだけ淡く見えるあの桜島に本当に着けるのか心配になった。
 しかし、乗らないわけにはいかない。だってだって、くどいけれど、あのカヌーイストのカヌーなのだから。「ちょっと風邪気味なのでお休みします」なんて、学校じゃあるまいしそんなことは是が非でも言わない。
 先日の、ギターを弾いた時の話じゃないけれど、「気持ち」というのは不思議というかイイカゲンというか、大切というか、恐ろしいものである。今の僕は、カヌーが進まなくたって幸せなのである。労をねぎらうように乗っているカヌーを軽く叩くと、単なるポリ容器のような空っぽな音がするだけなのだが、それを耳にするだけでも、「ああ、あのお方のカヌーなんだ」と幸せな気分になれる。まさに恍惚の極みであった。因みにこの場合「もうろく」という意味ではないが、それはさておき、違う意味で酔っているそのカヌー乗りは、一時間かけてやっと桜島に到着したのであった。
 大したことではないとは言え、初めてのカヌーで、大海原ではないが一人で海を漕ぎ進み、なんとなく、大きな目標を達成したような気分にさせてくれた桜島上陸だったが、さすがにそこから桜島を探検する余裕は無かった。海の上は暑いし、裸足で海水パンツにライフジャケットという姿だし、やはり体調不良だし、上陸したところは砂浜だがすぐに崖のようになっていて孤立しているため、そのまますぐに引き返した。とは言え今度は一時間はかからなかったが、またカヌーを漕いで戻ったのである。
 カヌー遊びが済んだ後は、少しだけバイクに乗って鹿児島市内を見物した。実は、旦那さんたちに言われて、幻のラーメンを食べに行くというのが主な目的であった。
 話を聞くと、外から見てもまずどこがラーメン屋だか分からないとか、大さじに山盛りの塩をスープの器に入れるとか、カウンターが傾いていて器の底の片側に何かを噛ませないとスープがこぼれるとか、言いたい放題、笑いたい放題だった。もちろんそれでラーメンがまずければ僕も敢えて行かなかったが、それでいてうまいというのだから気になるものである。
 比較的鹿児島駅に近いが、大通りからちょっと路地を入ったところという感じで、確かにあたりは民家だらけでどこにお店があるのか分からなかった。結局迷ってしまい、近くで道を尋ねてやっと分かったが、そこはさっきから何度も行き来した、トタン屋根の古びた倉庫みたいな建物だった。ずっと前に引退した店の主人のお父さんみたいな方が出てきたが、どうやらその人が主人らしい。その人曰く、「看板は十余年前の台風で飛んで行ってしまった」と何度も言い聞かせてくれた。そんな話に夢中にならなくていいから塩加減を間違えないでくれと思うほどに大さじ山盛りの塩を2度ほど入れている。カウンターは思っていたほど傾いてはいなかったが、ネギを切っている「まな板」が反ってしまっていて包丁さばきが危なっかしくて心配になったが、まな板の反りと同じように包丁の歯も弓形になっていたので、さすがに笑ってしまったが、大真面目な主人の前ではなんとか我慢した。
 しかしそれでも、そのラーメンは確かにうまかった。一杯300円のそのラーメンは、味も、店内の雰囲気も、そして主人の雰囲気も、昭和、いやいや、戦後間もない頃に戻ったような、レトロとかセピアという言葉がぴったりのラーメンだった。多分カヌーの話のところで言っていた「気の持ちよう」という奴に騙されているのだろうけれど、本当にタイムスリップしたようなラーメン屋だった。単に店内が暗かったからかもしれないが、店から出た時、現世の光景が眩しく感じたほどだった。
 アパートへの帰り道、あのラーメン屋の主人はどこからやってきてどこへ行くのだろうとか、どうやって生計を立てているんだろうとか、そんなことばかりが気になったが、それはまさに今の自分、そしてこれからの自分であって、他人のことを気にしている場合ではないと、少し恥ずかしく思うほどだった。
 実家を出発したばかりの頃は、9月になる前か、なってすぐにでも帰宅できるかな、などと考えていたが、まだまだ鹿児島である。これから本州に戻り、岡山から四国へ渡り、紀伊半島、東海を経て伊豆半島、そして最大の房総半島までも残っている。考えるだけで気が遠くなりそうだ。
 しかし今夜もここ鹿児島に泊まる。これで鹿児島は三泊目である。さすがに明日は鹿児島を出なければならない。しかし本当に夢のような鹿児島滞在だったなと、目頭が熱くなるようだ。

 
左:アパートから見える桜島。いやもう、旅館のような最高の景色です。これも気持ちの問題かな?
右:普通に見たら平凡なカヌー。しかし僕にとってこれ以上のカヌーはない。気持ちの問題ですが、重大な事です。


 
左:ちょっと古くさい鹿児島駅。でもこの近くの海岸は道路も公園も整備されつつありました。
右:こちらは西鹿児島駅(現鹿児島中央駅)。高校生たちがたくさん屯ってました。そうか、もう夏休みは終わったんだ。。



僕の夏休みはまだまだ終わりません。
でも明日にはこの思い出の砂浜を後にしなければ。。


【走行距離】 本日:23km / 合計:6,545km
鹿児島県鹿児島市

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