■旅行記 ”日本一周旅行” 17日目 : 悩める旅路  (1996.08.24 Sat)

 これから先は北海道で重宝した革のジャンパーも不要だろうと、撮り終わったフイルムなどと一緒に梱包して、ここ小谷村から実家へ送った。ジャンパーを着ないで箱に入れておくだけでもかなりの容量を食うので、これで毎日の荷造りが多少は楽になるだろう。今まではうまく収めないと蓋が閉まらず、何度もやり直したりした時もあったくらいだった。
 しかしここで大変な事に気がついた。北海道の親戚に滞在中に見せようと思って現像した写真のネガが見つからないのである。親戚にも連絡して確認してみたのだが見当たらないと言っていた。地図か何かに挟んだのを忘れて落としてしまったか、食事のゴミと混ざってしまって一緒に捨ててしまったか、とにかくどこにもないのである。実際にプリントした写真はすべて親戚の家に置いてきたし、札幌で撮った家族写真や市街地の観光写真は、札幌に戻らない限り見る事は出来ない。
 さて、昨夜はそれほど遅くまで起きてはいなかったが、のんびりして昼ごろに出発した。昨日はここの主人や子供たちが出掛けてていた事もあり、話をする時間が欲しかったし、それにここで荷物の整理や、心身ともにこれからに向けて準備が必要だったから、急いで出掛ける気はなかった。
 とは言え出発してからは、随分先を急いで焦って走ったものだった。前年の大洪水で姫川流域の道路はあちこちで工事のために片側通行で、しかも土砂を積んだトラックがひっきりなしに往来して、日本海に面した糸魚川市街に出るまで思うように進めなかった。しかも糸魚川から乗った国道8号線もそれほど広い道ではなく、トラックが多いので急げば急ぐほどトラックの後ろでつかえることになり、大量の排気ガスを受けて走るばかりであった。
 北海道の爽快さを知ってしまうと、今まで何とか耐えてきたこの排ガス地獄も、本当に吐き気を催すほど嫌になる。とは言え前の車との距離を空ければ後ろの車に急かされたりする。だから僕はディーゼル車じゃない乗用車とか、軽自動車などの後ろに付いて走る事にした。
 しかし、そういう車の後ろに付くと、今度はその車が減速したり、車線の左側に少し寄って走ったりするのである。そういう車を運転しているのはたいてい中年の人である。どちらも良くも悪くもお人好しで、おばちゃんの場合は単にバイクに付けられて怖がって、私を相手にせず早く抜かして先へ行ってもらいたいのか、まったくバックミラーなど気にせずのんきに走っているかのどちらかである。おじちゃんの場合はバックミラーでバイクを確認すると、かっ飛ばしていた若い頃の自分を思い出してか左に寄ったり、追い抜かれやすいようなところで左に寄ったり、事もあろうに窓から手を出して「先行っていいよ」と合図をするくらいである。そういう人はたいてい、追い抜かれる際に、僕がどんな奴でどんなバイクに乗っているかをしっかりと見ながら、「ニカッ!」と爽快な笑顔を見せるのである。けれど僕は本当は追い抜きたくなくてその車の後ろを走っているのではなく、なるべくクリーンな空気−とは言えどんな自動車の後ろだって排ガスで満ちているけれど−の中にいたいのに、そういう行為に出られると、妙な使命感みたいなものが働いて、ずっと後ろを走っていたり、抜いた後、すぐ目の前を走っているわけにもいかず、お互いが見えなくなるまで飛ばしてしまうのである。しかし、そうやって走った先には道幅いっぱいのトラックが走っていたりして、今度は抜きたくても抜けないので、結局いつでもトラックのを後ろを走ることになるのである。
 そんなイライラを募らせながらの行程はあまり気分のいいものではない。正直、ここらの海岸の風景は僕にとってはそれほど興味深いわけでもなく、かと言って道が広いわけでもないのでひどく走りにくいと思う。事務的に走っているとでも言うべきだろうか。しかも何箇所か、立派な高速道路が国道と海岸の間にどでかい橋桁をそびえ立たせて走っているので、日本橋の上を走っている首都高速ではないがせっかくの景色が台無しなのである。もちろん向こうはびゅんびゅんと軽快に飛ばしているので、気分的にも気持ちのいいものではない。
 そんな中、富山市近辺は特にうんざりだった。失礼な言い方だがこんな田舎になんでこんなにトラックを含め自動車が走っているんだ、と思ってしまうくらいだったが、日本海側は新幹線もなければ列車の本数も少なそうだし、東京や大阪といった波が静かで大きな港を持った大都市も無いし、となると残るは自動車しかないのかな、などと勝手な解釈をして名答を得たような気になって、この熱気と排ガスで揺らぐ渋滞の中でなんとか気を紛らわして走り続けた。
 さて、それも高岡市を過ぎて能登半島に向かうところまで来ればさすがに落ち着いて、ここからは本当に海岸すれすれのところを国道が走り、ちょうどいい起伏もあって、やっと走りを楽しめるようになってきた。しかし富山市街を抜けたのはもう夕方で、能登半島の先端まで行きたいなと勝手な目標を立てていたが、そこまで頑張るべきか、それとも途中で諦めるかなどと迷いながら走っていた。
 まったく列車の走っていない線路と平行に走ったり交わったりしながら起伏のある道を走るのは楽しかった。しばらくして暗くなってしまい、楽しみさも薄れてしまったけれど、キャンプに適当な場所もなかなか見当たらず暗くなってからもしばらく走っていると、ふと「恋路海岸」という標識が現れた。
 一人で走っている今の自分にとって、なんて切ないネーミングなんだ、などと思いつつ通ってみると、小さな砂浜があり、そこにはまだ工事中とも思えるくらいの新しい公園があって、水にも明かりにも困らないようだったので、そこに泊まることにした。
 バイクを歩いて引きながら公園に入るとカップルがいて、今まで自分たちだけのひとときをよくも邪魔してくれたわねとばかりに睨まれた。僕は気を使って少し離れた場所にバイクを停めてテントを張り出したけれども、それを見るなり立ち去ってしまった。
 こんな時、僕は何一つ悪い事はしてないにもかかわらず、妙に罪悪感を覚えてひどく憂鬱になるのであった。そしていつもより余計に寂しくなるのであった。テントの中で、今までのこと、そして明日からのことを、「なんで僕はこんな旅行をしているんだろう」、「いやでも、それは旅行を終えてみなきゃ分からないことだし、何をしたっていいんだし」などと答えのない質問を自分にぶつけては、憂鬱さを募らせるばかりであった。
 

 
珠洲市境に近い内浦町(現能登町)にある恋路海岸。
この公園はまだ工事中か、出来たばかりという感じだった。(翌朝撮影)



恋路海岸から急斜面を上がったところにある恋路駅。
無人駅で、人も列車も見かける事は無かった。
(注釈:2005年3月に廃線になったようです)


【走行距離】 本日:294km / 合計:4,555km
長野県北安曇郡小谷村 〜 石川県珠洲郡内浦町(現:鳳珠(ホウス)郡能登町)

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