■旅行記 ”日本一周旅行” 18日目 : 頼りない人  (1996.08.25 Sun)

 恋路海岸に寄せる波は荒れていた。波の音と風がひどくて、昨夜はあまり眠れなかった。風が一方向から吹くのではなく、うねるように吹くので、風が巻く度にテントがばたばたと大げさな音を立てていた。
 それより、青森の大間崎でもそうだけれど、あまり海岸に近いところにテントを張るべきではないのかもしれない。海の常識とか、キャンプの定石というものを僕は知らないけれど、海辺や砂浜にテントを張るのは僕としてはとても気分がいいので、ついそうしてしまうのである。
 海岸のすぐ裏手には山が迫っており、昨夜は気づかなかったがその急斜面の上に駅があった。駅は、山と山の間のトンネルがちょうど切れたところにあって、とても小さかった。駅まで行くのにひどく急な階段を登らなければならなかったが、僕はそこを登って駅まで行ってみた。
 見事な無人駅だった。完全な単線で、駅ですら複線になっていなかった。まるで列車が通る気配もなく、駅舎−というよりただのプラットフォーム−もとても古びていて、そんな中、雨よけだけが残念なほに斬新なデザインで新設してあり、周りの雰囲気と合わないところがかえって寂しい雰囲気を作り出していた。
 そのプラットフォームから線路に向かい左右を見渡すと、両側ともすぐ先はトンネルになっていて、ひどく静かなのはそのせいもあるのだろう。つまり見渡せるのは眼下−背中−に見える海岸だけである。しかしその多くも茂みに隠れていて見渡せるという感じではなかった。
 線路に降りてみた。腰をかがめ目で線路を辿って行くと、まっすぐ伸びたトンネルの向こうの出口が、小さく、そして明るく見えた。それをじっと見ながら、しばらく物思いにふけていた。今まで何をしてきたのだろう、そしてこれからどうしようか、と。それは決してこの旅だけに限った事ではない。
 昨日から同じような事をずっと考えていた。なんとかそんな雰囲気を払拭したかったが、一人でいるとなかなかそれも出来ないものである。そして払拭すべく、とにかく恋路海岸を後にした。
 ここから先は金沢まで、走り出せばすいすいと走る事が出来た。起伏の激しい能登半島は、もちろん直線的にびゅんびゅん飛ばす事は出来ないけれど、景色といい、いい塩梅に起伏のある道といい、風も気持ちよく、排ガスのにおいもなく、それでいて天気も良く、まさに気分爽快だった。
 やはりバイクで走りながら景色が楽しめるのは、トンネルの中や夜道を走っているのよりはるかに気分がいい。国道が海岸沿いを走っていて、海と道路を隔てるものも無いので見晴らしはとても良い。かと思えば海岸の磯や切り立った断崖をよけるために山の中に入り、両側が絶壁の切通しを通ったり、深い森に入ったりと、景色がころころ変わるところがいい。自然もさることながら、関東ではあまり見られない大きな鳥もたくさんいた。大きなカラスよりはるかに大きい鳥で、それらが路上にいると、走っているこっちが減速して避けてしまうほど向こうは大きな存在で、翼を広げ、大きくて重そうな体で重力に逆らってなんとか飛び立とうとする様は、鳥というより動物や獣というイメージの方が強いほどであった。そんなわけで、海の景色、山の景色、そして動物とのふれあいと三拍子揃った能登半島が終わったころに、いよいよ金沢に着くのである。
 市街からだいぶ離れたところからでも、既に金沢に近づいているという感じを受ける。ここもとにかく交通量が多くなり、トラックだけでなく乗用車、そして僕の目を特に引いたのは、多くの「若い車」だった。
 埼玉から今まで走ってきた中で、これほどスポーツカーや改造車、ど派手な車が目に付いた街と言えば、せめて仙台くらいしかなかったが、それよりも明らかに多いと感じた。なぜだかは分からないけれど、近くに他の大都市がないからみんなが集結するとか、東京や大阪から完全に独立し、また加賀百万石と呼ばれた地で、特有の文化が根付いているとか、単に車社会が浸透してるとか、遊ぶところが無くて、若者たちが自動車趣味に走りやすいとかなど、思い当たる節はいろいろあるのだが、どれも無責任なものばかりである。しかしここまで何気なく走っていてふとそう思ったのだから、確かに絶対的な数として多い事には間違いないだろう。
 まさかこんな感想を抱くとは思っていなかったが、金沢市街はバイパスを経由して迂回した。富山市同様、とにかく交通量が多いし、昼飯時でもなかったのでそのまま国道8号線をひた走った。
 あっという間、とはさすがに言えないけれど、山をいくつも越えて、敦賀までやってきた。実はここまで、滋賀県は大津市に住んでいる父親の知り合いに会おうかなと何度か電話をしたのだが留守で、ラストチャンスということでここ敦賀から連絡を取るも、結局繋がらなかった。それに大津と言えば日本海ルートとはだいぶ離れているし、僕自身、その人とは長い事会っていないので仮に電話が通じたとしても行かなかったかも知れないくらいだった。
 初めから寄るつもりは薄かったとは言え、なんとなく頼れる人がいないということに、少なからず焦燥感みたいなものを覚えた。しかしそのような人をひそかに頼りにしている自分がひどく情けなくなった。僕にとっての一人旅って一体何なのだろうと思うほどだった。自己嫌悪を覚えながら、今日はひたすら走りに徹した。
 お陰で、夕方には天橋立までやってきた。今朝、能登半島の先端にいた事を思えば、随分と走ってきたものだと思える。
 さてその天橋立であるが、日本三景と言うだけあって、確かに景色がきれいにはきれいなのだが、いまいち僕の心には響かなかった。とにかく人と店と看板の多さに幻滅してしまった。ざっと歩いて景色を見ただけであるが、なんか、感動は無いとは言わないまでも、薄かった。自然はやはり自然のままが一番いいのである。
 さて、天橋立を出発するというときにはもう既に暗くなりかけていたが、さすがにこんなごみごみした所でテントを張るのは避けたかったので、少し落ちついた広々としたところで泊まりたいと思い走り出したのだが、結局、丹後半島の外周には適当な場所が見つからず、真っ暗になってからもしばらく走り続けていた。
 ふと、小さな湖に差し掛かった。すっかり夜だったので、街灯で照らされた湖面がわずかに見えた程度であったが、その湖の近くには喫茶店やカラオケ店や民宿が湖に面した道路脇でこじんまりと群れを成している場所があり、そこらだけが多少賑わいを見せている感じだった。あまりそこに近すぎるのも困るけれど、まったくの真っ暗闇よりは良いだろうと思い、そこから百メートルほど離れたところの、湖と国道の間の何でもない空き地に勝手にテントを張り、疲れていたので周囲を神経質に気にしたりなどということもなく、すぐに眠りに就いてしまった。

 
左:能登半島は起伏の激しいところで、海辺を走っていたと思えばすぐにこのような山越え道となったりと変化に富んでいた。
右:何という名前の鳥かは知らないけれど、とにかくカラスより一周りも二周りも大きい鳥がたくさんいた。
バイクで近づいたくらいでは目の前に迫るまで逃げようとしないくらいに肝の座った奴ら(?)だった。


 
左:チェックポイントや休憩所としてどうしても駅を選んでしまう。トイレも売店もあるし、何より目標として分かりやすい。
右:天橋立は、とにかく長かった。急いで回ったせいで足にマメが出来てしまった。仕方が無いけれど人、店、看板が多く、幻滅した。


【走行距離】 本日:506km / 合計:5,061km
石川県珠洲郡内浦町(現:鳳珠(ホウス)郡能登町) 〜 京都府竹野郡網野町(現:京丹後市)

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