■旅行記 ”日本一周旅行” 16日目 : 一人旅の原点  (1996.08.23 Fri)

 関東と違って朝晩は気温がぐんと下がるので長野は過ごしやすい。もちろん真昼は暑いけれど、木陰や屋根の下に入ってしまえばそれなりに快適に過ごせる。長野といっても南北に長くて広いのでここらへんだけかもしれないけれど、とにかくありがたい。
 ここへ初めてやって来たのはいつだっただろうか。小学三年か四年で、まだ千葉県の我孫子に住んでいた時だったと思う。毎年というわけではないけれど、小さい頃は列車の旅のポイントにしたり、一昨年などは実家から原付のスクーターでここまで来たりした。だから思い出も多い。
 自分の出身地ではなくこれだけ思い出のある場所は他にはない。それまで一人暮らしをしたこともない僕にとって、ここで寝食を共にしての住み込みのバイトは「勉強になる」なんてカッコつける以前に、時にはつまらないこと、苦労することもあるけれど、とにかく刺激的で興味深かった。学校の都合で一度の滞在が長くても二週間程度だったが、それでもそれを一シーズンで二、三回やるので、一ヶ月以上はここにいることになる。
 ここで初めてバイトをしたのは高校を卒業したばかりの春休みだったと思う。その時ここの知り合いはスキー場にあるラーメン屋の雇われ店長をしていた。その時はほんの三、四日の手伝いだったけれど、スキー目当ての年上のお兄さんたちと一緒にバイトをして、寝るのは店のすぐ目の前にある寒くて汚い小屋だった。三畳ほどのスペースに二段ベッドが二つ置いてあって、それぞれの寝床から顔を出しては話をしたりふざけ合ったりして、まるでキャンプのようだったから楽しくて楽しくて大はしゃぎだった。おじさんからはいろいろなことを教えてもらい、それでなおかつお金も頂いて、多少はスキーもやって、こんなに楽しい思い出も出来て、僕にとっては誰が断るかという貴重な経験であった。
 それは大学に入学してからも続いた。今度はレンタルスキー屋をやっていたのでそちらを手伝った。時間に余裕があるので行けば二週間と、汚いけれどそれなりに広い、その店の屋根裏部屋で寝泊まりするようになった。
 さすがに長く滞在している分、生活を共にする仲間たちとも親しくなった。知り合いのおじさんもいつものようにただ楽しいおじさんというわけにいかず、店長として責任を持って、時々我々を厳しく叱ることもあった。一緒にバイトしている仲間は仲間で、多少愚痴が出たり、悩みなどもあったりして、ラーメン屋のバイトよりも中身の濃い時間がそこにはあった。ただケンカをしたり険悪なムードになるということは皆無で、本当にのびのびとバイトが出来たことはお世辞抜きで運が良く、そしてさらに貴重な経験を得ることになった。少なくとも僕みたいな世間知らずには本当に衝撃というか刺激というか、とにかく日常の生活ではあり得ない黄金の時間だった。とにかくこのように思い出を話したらキリのない場所なのである。
 これは、一時的なバイトだから言えることだけれど、限られたシーズンだけの「リゾート」という非日常的、ある意味で非現実的な感じが僕はなんとなく、でもたまらなく好きだった。雪国で育ったらなにも感じないんだろうけれど、ただそこに雪があるだけで、ただお客さんが楽しそうにやってくるだけで、それだけでこちらもわくわくしてしまうほどだった。何となく自分も浮かれてしまっていたのだろうけれど、休みだからといって家で漫画を読んだり、いつものようにゲームばかりしているよりは遥かに有意義だろう、と思った。もちろん実際の生活など顧みず、ただ自分の小遣い稼ぎのバイトをしている能天気者だったから成り立つことなのは確かであろう。まあ、この旅行もそれとあまり変わらないと言えばそれまでである。
 さて、話がだいぶ逸れてしまったけれど、現在の話に戻そう。ここの主人も仕事で留守だし、僕より少し年下の、この家の子供たちも出掛けてしまっていなかったから、ラーメン屋のバイトで知り合った、あるカップルに会いに行った。ラーメン屋でもレンタルスキー屋でも一緒にバイトをしていた地元の人なのだが、ずっと二人とも同じ職場で働いていて−冬になると家族、友達構わず総出で何でも手伝うのである−、アニキの方は現場の仕事で事務所にいなかったけれど、お姉さんの方はいて、僕を見るなり驚いていた。ちょっと待たされてから、一緒に出掛けて川原で昼飯がてらお喋りした。
 いつも冗談ばかり言って周りを楽しませてくれるみっちゃん−そのお姉さん−は、先ほど会ったばかりの時も僕のバイクを見るなり怪訝な顔つきで「よくこんなんで表を走れるね!」と言ってその後大笑いするような人だった。川原でも昨シーズンのレンタルスキー屋のバイトの話題を中心に笑い話は尽きなかった。
 バイトをしている間の事はお互いにいろいろと知ってるし、なんか相談しやすい雰囲気があって、初めはその話などを冗談にして笑い飛ばしてくれたりするけれど、でもとても真面目な人で、いざという瞬間は必ず真剣に話してくれる−しかしそういう時間はとても短い−ので、そのギャップに驚くことさえあった。あまりこういうタイプの人は僕の周りにはいなくて、かえって説得力があるというか、とにかくギャグのセンスも含めて一目置いてる良き先輩だった。
 そのみっちゃんがもうすぐ昼休みが終わりそうだから行かなくちゃという時に、「だからリゾートは気をつけた方がいいのに」なんて素っ気なく呟いたものだから、僕は雷に打たれたというか、その言葉が心に引っかかって引っかかって苦しかった。僕のいろいろな出来事や心持ちを知っててそんな事を言ったのだろうけれど、そもそもこの旅行自体もそんな日常離れしたものだから、それも含めてさりげなく、でも明快にアドバイスをしてくれたのだろうか。考え過ぎかもしれないけれど、その時はそう思わざるを得なかった。
 ここでは昔からバイトをしたり釣りをしたり、スキーをしたりテニスをしたりした。親父に連れられやって来たり、雪が残っているのにバイクで来たり。今までの僕は旅行と言えばここ小谷・白馬であって、いろんな人とも出会ったし、そう、ここにはいろいろな思い出があり過ぎるくらいだった。この旅行自体もそんな経験から派生していることに間違いはなかったし、みっちゃんはそれを少なからず知っていた。みっちゃんには、そのすべてが日常離れした「休暇のひととき」の出来事であって、ここに生まれてここで育った本人から見ると、僕みたいな奴がいかに浮かれてて軽い存在に見えてしまうのだろうか、とさえ思った。
 でも、みっちゃんはそれを卑下したり、忌み嫌ったりするようなことは一切しなかった。そして先ほどの言葉の後、顔が曇ったままの僕を、まるでお節介なおばちゃんのような温かな目で見て、そして、「そんなんでこの先大丈夫か〜?バイクはボロだし!」と言って笑って逃げた。
 やっぱりここに来て良かった。こんな街が、そしてこんな人がいるということに、僕は心の底から嬉しがったし感謝した。家族でも親戚でもないし、友達というほど会ったりしないけど、それ以上に通じるもの、そして与えてくれる何かがあった。
 ここは僕にとってまさに一人旅の原点そのものであった。
 


みっちゃんの職場に顔を出して、昼休みにお喋りした。
僕がバイトをしたレンタルスキー屋の目と鼻の先である。


【走行距離】 本日:記録なし / 合計:4,261km
長野県北安曇郡小谷村・白馬村

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