■旅行記 ”日本一周旅行” 15日目 : 第三の故郷  (1996.08.22 Thu)

 昨夜はこれだけ思い出の街にいながらひどく寂しい思いをした。雰囲気が変貌してしまう夜の公園や、目抜き通りを一本外れた歓楽街など、まだ子供だった僕には見たことの無い街の姿だけがあったからだ。僕が知っていた昼間の顔はもうどこかへ行ってしまっていたのは昨日書いた。
 しかし、日が昇ってから長生橋(ちょうせいばし)へ行ってみたら、そこには昔と変わらぬ面影が今も残っていて、僕は少しほっとした。ここは三尺玉が打ち上げられる長岡の花火大会の会場である。このゆるやかに湾曲した信濃川の風景、そして古びてしまってはいるが昔と変わらぬこの長生橋を見て、僕は何かを取り戻したような気分になり、むせるほどの草のにおいを感じながら、この川の土手にバイクを停め、長いことそれらを遠巻きに見つめていた。
 まだ若干二十二歳だけれど、随分と年月が経ってしまったと思った。確かに、以前ここへ来たのはそれこそ十年も前のことだ。その頃はとうに祖父は亡くなってはいたけれど、家族や年下のいとこと遊びに来たのを覚えている。まだその頃はそのいとこも元気で、難病のかけらもなく一緒にはしゃいでいたものだった。いとこはその後、ほんとうに長く苦しい闘病生活の末、遂に昨年亡くなってしまった。
 実はこの度、特にお世話になった札幌の親戚の方とは、そのいとこの葬儀で初めてお会いした。正直そんなことが無かったら、今回の旅行もあり得なかったんじゃないか、などと思うほどだった。
 本当に人の歩みは不思議なもので、どこで何が作用し影響し、どの道を選択して歩いていくのかなんて分かりやしない。僕がこうして以前そのいとこと一緒に花火を見たこの場所へ戻ってきた事だって、もちろん当時の僕らには分かりやしないし、それから長い間ここへ来なくなることも分からない。また、学校の前期の成績が悪ければ追試や補講があるわけで、そしたらこの旅行にだって出てなかったかもしれないし、もしバイク旅行をしていたにしても、こんな計画は立てていなかったかもしれない。そもそもこんな旅行をしなくてもいいんだし、今、ここで旅を止めてもいいわけだし、人の歩みは本当に自由で、そして無限に広がっている。
 でも自分は今すぐこの旅行を止めることはない。まだ夏休みだって残っているし、こうして新しい街、懐かしい風景に出会いながら自由に旅行をしていることに幸せを感じているからだ。それに、この旅行を僕に続けようと思わせる動機が他にも幾つかある。これから向かおうとしている長野県の小谷村・白馬村も少なからず関係がある。
 しかし一度は、今までのんびりしすぎたから、糸魚川から日本海岸を離れて長野県入りするのは避けよう、とも思ったのだ。しかし正直、その先、西日本、九州、四国を走破して大阪まで身寄りが無いと思うと、やはり寄っておきたいところである。と何だかんだ言い訳して、結局、糸魚川から内陸を走り、早々に小谷村へ来てしまった。
 ここには昔から世話になっている父親の友人がいて、高校卒業以来、スキー場にあるラーメン屋やレンタルスキー屋でバイトをさせてもらったりもしている。この冬もバイトをしたし、昨年の夏もバイクで遊びに来ている。偶然名字も同じで、まるで親戚のように付き合わせてもらっているから、なんだか「帰って来た」という表現の方が違和感がない気さえする。
 これで結果的に、今まで三泊連続でテント泊をせずにここまで来れたことになる。まったくの甘えでここへ来たものの、この先本当に大丈夫かと心配にもなる。


信濃川に架かるこの長生橋(ちょうせいばし)は長岡花火大会には欠くことのできない存在なのである。



 休憩で寄った柏崎。
当時は携帯電話など持っていなかったのでここから長野の知り合いに電話をかけた。


【走行距離】 本日:189km / 合計:4,261km
新潟県長岡市 〜 長野県北安曇郡小谷村

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