■旅行記 ”日本一周旅行” 14日目 : 縁をめぐる現在と過去  (1996.08.21 Wed)

 テント泊は久しぶりに感じられた。寒くもないので快適だったし、話し相手もいないからすぐに眠りに就いてしまった。しかし朝になるとテントの中はすぐに明るくなり、そして鳥の鳴き声がうるさく感じられるので朝早くに目が覚める。この砂浜には近くに食料が買えるような店どころか何の建物も見当たらないので、支度して早めに出発した。
 当たり前のことだけれど、夜と朝の砂浜の雰囲気はまるで違った。朝はさすがに夜露で大気が湿ったように感じられ少しだけ涼しくなるし、太陽ははるか地平線の彼方から、昨夜の日没のような寂しさも満天の星空のようなロマンチックさもなく、静かだが力強く登りはじめている。初めは少しだけその陽光の暖かさをありがたく感じるが、ふと気がつくと、肌寒かった湿気がいつの間にか消えていて、その代わりに嫌というほどの暑い日差しが台頭してくるのである。それはみるみる否応なしに強みを増して、登りつめた頂点から恨みたいほどに我々を刺し続けるのである。
 何のトラブルも無かったけれど、寄ってみたい町が幾つかあって、歩みは遅かった。初めに寄ったその町には何の縁もゆかりも無いけれど、町名と同じ名前の友人がいて、彼が小さい頃に行ったことがあるとかで、この旅行に出る前に話題にしていたので、話題ついでに興味本位で寄ってみたかっただけだった。
 しかし不思議なもので、何の変哲もないこの町も、そういう目で見ると不思議と愛着が湧いてくる。この駅舎は確かに写真で見た通りだとか、友人もこの観光名所に寄ってみたのだろうかなどという気持ちが生まれ、ほんの僅かな愛着だけれど、見える風景も変わってくるようであった。
 さて、渋滞がひどそうな新潟市街は通りたくなかったが、新潟駅くらいは寄っていこうと思い、結局渋滞に巻き込まれていった。そして新潟市の外れの「小針」というところには以前親戚が住んでいて、中学生の頃一人で旅行をした時によくお世話になったので、そこに行ってみた。
 さらに、母親は出身が長岡で、小さい頃は祖父母も住んでいたしたまに遊びに行ってはいろいろと駅前のデパートで買い物をしたり−大人の買い物に連れ回されただけだが−、公園で遊んだり、そして冬ならば家の軒先の空き地に「かまくら」を作ったりして遊んだ、思い出深い土地なのだ。今は身寄りが無いのでテント泊だけれど、今夜はここ長岡に泊まると決めていた。長岡へ来るのはそれこそ十年ぶりくらいになるのではないか。到着が待ち遠しかった。
 しかし、まだ日が暮れる前に長岡駅に到着したのはいいのだが、以前とは何かが違っていて、気味が悪いと言っては大げさだけれど、少し妙な雰囲気を感じていた。確かに以前よりこの地方は活気が薄れていて、大きな駐車場を持たない駅前のデパートも少し鳴りを潜めている感じだったけれど、それだけではなかった。一体何が変わってしまったのか。実は小針に寄ったときも似たような気持ちを抱いていたのだった。
 しばらく駅の周辺をバイクで周ってみたのだが、それでやっと気がついた。それは自分が変わってしまった、ということだった。
 小さい頃は、両親や祖父母に連れられて、駅からその実家まで歩くだけだった。その途中にちょっとした公園があり、思い出があるのは、駅と実家とその公園と、それらを結ぶ道だけであり、それ以外のところは行ったこともなければ、どんな風になっているのだろうと当時は考えもしなかった。
 しかも、今はバイクに乗っているから走るのは当然道路であって、歩道や裏道や公園の石垣の上を歩いていた子供の頃とは通る道も視点の高さも違う。さらには、既に実家は無くなっていて、跡地にはマンションが建ってしまっているので、その僅かな思い出からしたら主要な部分を失ってしまっているのと代わりはない。
 そうなると、こんなに思い出深かったこの街も、なんだかありきたりな普通の街に見えてしまって、ひどく悲しかった。自分が実際に住んでいたり、今でも多くの知り合いがいればこんなこともないのだろうが、「こんなはずはない、こんな街じゃなかった」と、我を疑うほどだった。
 そんなショックを抱えながらも、テントを張る場所はやはり、駅と家との中間にあった公園にした。そしてテントを張って落ち着いたときには既に辺りは暗くなっていたのだが、夜が訪れると、僅かに残っていた当時の思い出も一緒に消え失せてしまって、ほとんど何のゆかりもない公園に変わり果ててしまったようだった。
 まだ当時の僕は小さかったから、記憶にあるのはお日様が照っているときの記憶だけで、ひっそりと静かになった夜の公園の記憶など持ち得ていないからである。
 子供の頃の古い記憶なんて一枚の写真のように、一瞬の出来事、一瞬のきらめきだけが残っているのかななどと、ホームシックにも似たような気持ちでいっぱいの夜だった。
 時間が経つと、見えるもの、感じるものまで変わってしまうのかと、ひどく考えさせられる夜だった。
 

 
友人が以前寄ったという小さな町。何も縁がなかったが、かえって新しく小さな愛着が芽生えた気がした。


 
新潟市内のここ小針も思い出深いところだったが、既に身寄りも無く、駅と、よく遊んだ海水浴場に立ち寄っただけだった。


 
小針に寄ったときに既に似たような気持ちを感じていたが、ここ長岡でそれが何かを悟って物憂げになる。
右の写真はその僅かな思い出の一つ、長岡セントラルパーク(翌朝撮影)


【走行距離】 本日:445km / 合計:4,072km
秋田県山本郡八竜町(現:三種町) 〜 新潟県長岡市

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