■旅行記 ”日本一周旅行” 40日目 : 我が家  (1996.09.16 Mon)

 水平線の向こうから陽が昇るのを見るのも久しぶりである。旅の締めくくりとなる今日の天気はとてもいい。雨男の僕にしては上出来ではないか。
 生まれてから十年間千葉県に住んでいたけれど、昨夜泊まった白浜や、それこそ九十九里から犬吠埼にかけての外房を訪れたのは初めてだった。
 九十九里海岸は、砂浜のすぐそばを走るわけにはいかないけれど、宮崎を思い出させるほどになだらかで、のんびりしていた。海の向こうから吹いてくる東風は既に真夏の暑さを失ってはいたけれど、もちろん東京湾と違って爽快である。しかし今日は天気がいいとは言え、爽快と言っても風はかなり強いので、バイクを右に傾けるようにして犬吠埼まで向かっていった。
 とても関東とは思えないほど、のんびりとした風景が延々と続いている。一度二度、バイクを停めて海岸まで出てみたものの、左右のどちらを見渡しても風景に変わりはない。延々と続く砂浜、そして目の前にはどこまでも続く広い海。押し寄せてくる波と風。
 そう言えば僕は、この四十日のほとんどを海岸で過ごしたことになる。もちろん毎日毎日海岸線の際を走るわけではないけれども、この日本を取り囲んでいるのは紛れもなく海なのであった。工業地帯もあれば、人影もないような漁村もあり、切り立った断崖の上もあれば、ここ九十九里のように砂浜が延々と続いたところもあった。残念ながら東北の三陸海岸を走らなかったり、もちろん通らなかった岬も多いけれど、こうして日本四島を巡って、その海岸を行く旅の最後となるのが、僕が小さい頃から親しんでいた利根川の、その河口にある犬吠埼である。
 天気が良かったせいか、やけにあの真っ白な灯台が目に焼きついた。切り立った上にそびえているので、余計に青空に気持ちいいほど映えている。ほんとうに絵になる灯台である。
 しかしその犬吠埼に着く直前くらいから、僕の心は既に別のところにあった。それはもちろん生まれ故郷の我孫子である。引っ越してから二年後に一度訪れたことはあったけれど、それから既に十年が過ぎている。バイクに乗っていても緊張と興奮で、というより、なぜか神妙にならざるを得なくて、天気こそ良かったけれど黙々と西へ向かった。
 「あっ」と思った瞬間、自分が予期もしなかった懐かしの風景がたちまちに蘇ってくる。それはまるで心の奥底に埋もれ、既に忘れていた記憶が一気に噴き上げて自分の頭を貫くような衝撃である。それは奇しくも幼稚園の近くであったから、それこそ二十年振りに訪れたのではないかという場所もある。すぐに幼稚園を訪れてみたくなった。
 さすがに中に入ることはしないけれども、とにかくあまりの懐かしさに感動して、暑さなど忘れるくらいであった。あまりうろうろしてても怪しまれるだけだから取り敢えず写真を撮って早々に出発した。
 そんな余韻に浸っているのも束の間、実際に自分が過ごした家の周辺に近づくにつれ、感動が次々に押し寄せる波のように僕の心を打ち続けたけれど、それと同じように街の様子の変化に驚くばかりであった。
 それは、街全体が、驚くほど小さくなっていたことだった。道は細くなり短くなり、坂道は緩くなり、学校が近くなり、校庭は小さくなっていた。周辺の家々も小さくなっていて、木々も低くなっていて、おまけに駄菓子屋も近くなっていた。
 こんな体験をしたのは生まれて初めてであるけれど、なんだかめまいがしてくるようでさえあった。まるでガリバー旅行記である。冗談抜きでそういう感じなので、信じられないとしばらく呆然としていた。
 ここには十年もいたのだから、十歳とは言えそれなりに記憶が残っている。それなのにそれから十年もここを訪れなかったのであるから、手も足も長くなり、もちろん背も十二分に高くなり、そして何より自分はバイクという便利な乗り物を運転するようになった。つまりは視点が高くなり、そして視野が広くなったのである。
 そんなことは承知だったとは言え、こんな体験はそう滅多に出来るものではない。日本一周旅行の終わりにまさかこんな感動的なイベントが待っているとは思いもしなかった。
 しかし、しかしである。ここは今の僕の実家から距離にして100キロも離れていないかもしれない。それなのにこれだけ訪れなかったということが、何だかショックであった。そして、そんなに久しぶりに来たけれど、こんな薄汚れた格好で、こんな装備のバイクでここへ来て、知り合いに会ったところで僕を思い出してくれるだろうか、それならもっと準備をして別の機会にまた来ればいいやと、結局誰にも会わずにこの街を後にした。
 さて、そんな寄り道をした後は、やはり大きな目標である「家に帰ること」を成し遂げなくてはならないという使命をまた思い出して、急がず焦らず走り出した。この旅行がどんなに小さくてくだらないことでも、今はとにかくそれをやり遂げるということに意味があるのだ。
 思えばこの辺りで四十日前、出発してまだ間もない時、大きな交差点で信号待ちをしていると隣りに停まったバイクのおじさんから「なに君、日本一周してるのかい?」と尋ねられたことがあった。僕はさすがにその時は「はい」とは言えずに「ええまあ、これからなんですよ」と照れながら言い訳したのを思い出した。
 あの翌日にはタイヤがパンクして、岩手では花火大会に巻き込まれ、北海道では寒さに震え、眼の下を怪我をして顔が腫れ上がってしまい、そして挙句の果てに警察官には切符を切られたけれど、思えば北海道の遠い親戚に助けられて随分いい思いをしたのがとても一ヶ月前のこととは到底思えないほど遥かかなたの出来事のように思えてならない。
 そして長くバイクに乗ってテント泊が続き、疲れがピークに達したところで自業自得の大日焼けである。それから風邪をこじらし持病の腰痛が悪化してどうにもならないところを、今度は見知らぬ人々に助けてもらったわけである。それから夢のような鹿児島滞在があったわけだが、それもとてもほんの二週間前の出来事とは思えない。
 この旅行の中で起きた数々の出来事を振り返りながら、ゆっくりと我が家へ向かう。そして、あまり多くは語らなかったが、僕の心の大部分を占めていた想いは期待とは裏腹に、あっけなく終わり、微塵に砕け散ってしまったけれど、それはそれで思う存分消化できたわけである。それもこれもすべてこの旅行のお陰である。
 様々な思いがこみ上げてくる。時に自分でさえもであるが、多くの人が価値を見出せないようなこんな旅行ででも、自分の体では持ち堪えきれないほどの感情が溢れてくる。それは自分がまだまだ小さいからだけれど、裏を返せばまだまだ自分は成長できるということだろう。それが何よりの救いである。
 しかしそれにも増して救いなのは、やはり帰るべき家が残されているということである。帰りを待っている人がいる、手放しで喜んで受け入れてくれる人がいるということである。それは本当に幸せなことであって、それがあるからこそ、こんなのんきな旅行が出来るのである。これは本当に幸せなことだけれども、つい先日までそれを感じることすら出来なかった自分に憤りを感じるほどである。
 そしてやはり、旅の途中で出会った人々の言葉には裏がなくて重みがあって、その出会いそのものと共に僕にとって一生の宝になることに間違いはない。なぜならばそれらがなければ、僕はただ四十日間バイクに跨ってスロットルを回しているだけに過ぎないのである。それなら誰だって出来るし、それなら誰の旅行もみな同じになってしまう。


 ”出会いは人を変える”


 その言葉を全身で受け留められただけでも有意義な、長い長い夏休みであった。


(完)



【走行距離】 本日:410km / 合計:10,777km
千葉県安房郡白浜町 〜 埼玉県比企郡鳩山町

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