■旅行記 ”日本一周旅行” 33日目 : 四万十川  (1996.09.09 Mon)

 昨夜は近くの銭湯へ行ってきれいさっぱりしたけれど、朝になってテントを張った公園で会う人会う人みんなから「道後温泉には行ったか?」と尋ねられるので、気になって行ってみることにした。
 確かに、松山と言えば「坊ちゃん」とセットで「道後温泉」が全国的に有名であるけれど、言われるまではすっかり忘れていた。何となく、あのカヌーイストと縁の深い「四万十川」(しまんとがわ)がもう目と鼻の先なので、そちらにばかり気を取られていた。
 二日連続というより、一夜を挟んで風呂に入るのはこの旅中では今回が初めてである。自分としては「贅沢だ、もったいない」と思ったけれど、あれだけ地元の人に言われてしまっては、こっちとしても気になって気になって、気になりだしたら止まらないのであった。それに、四国などめったに来るものじゃないし、ましてや他の用事で通る地域でもない、というのも頭にあった。
 由緒があって、今でも実際に立派な温泉だったけれど、値段の方は庶民的だったので、ちょっとだけ目先の贅沢に手を伸ばし料金を余計に払って、人が少ない別の風呂で、二階にある広い座敷でお茶を飲みながら休憩ができるコースにした。とは言えそれでもたったの980円である。
 浴衣まで用意されていて、それに袖を通し裸足で闊歩しながら「夏目漱石もこうして街を見下ろしたりしたのだろうか」とばかりに窓際に横を向いてあぐらをかき、少しだけ優雅を気取りながら街の風景を眺めていた。そうかと思えば座敷に大の字になって少しだけうとうとしてみたりと、僕にとっては贅沢極まりない至福のひとときだった。朝の公園でおじいさんたちと話をしなければこんな事もなかっただろうにとありがたく思った。
 一方、当然と言えば当然だが、出発の方は遅くなってしまった。しかし既に朝の公園で、焦りは捨ててしまったので、四万十川を見ながらのんびり進もう、という気持ちに切り替わっていた。
 その目的を果たすため、松山から宇和島まで南下してから、一路、東に逸れて内陸を進んだ。そのまま海岸寄りの国道を走っていては、中村市で四万十川の河口に出くわすだけとなってしまうからである。
 それにしても四国は起伏が激しい。何となく石川県の能登半島やその先の日本海に面した京都府と島根県境の辺りを思い出しながら走っていた。しかし明らかに違うのは別に高山があるわけではなさそうなのだけれど、とにかく「山奥」とか「山が深い」という印象を受けた。それは川が自由に蛇行しているからか、森が際立って深いせいか、民家が少ないせいだろう。そのすべてが揃っているからかもしれないが、九州よりも自然が残されていると、カルチャーショックならぬ、ネイチャーショックを受けた。さておき、いよいよ、四万十川の流域までやってきた。
 初めて見た四万十川は、しかししかし先日の大雨で濁り切っていた。実は僕が川と合流した地点には川原や中洲にショベルカーが入っていて何かの工事をしていたから、どちらかというとその影響が大きいのだろう。そんなわけで第一印象は、あのカヌーイストがその名を知らしめた「日本最後の清流」という名言が頭にあったから、仕方がないけれどどうしても残念に思ってしまった。お天道様と約束できるわけじゃないし、もちろん保険が利くような軽い話でもない。
 とは言え、川の周りに切り立つ見事な山々や、他所では見たことがない「欄干のない橋」を見掛ける度に、脇見をしたり、ぼうっと見とれたり、あまりバイクの運転に集中してなかったほどだった。もちろん、交通量が少ないし車間距離を十分保っているから出来る芸当である。因みに「欄干のない橋」とは、通称「沈下橋」と言われて、増水時には川の水が橋を覆ってしまうことを承知で造られているのである。洪水に耐えうる頑丈な大橋を造っていたら架けられる橋の数も減るし自然への影響も大きいという事を配慮してのことだろうか。そのために敢えて欄干が無い小さな橋を、川と共に暮らす人々の利便を考えて要所要所に架けてあるのだが、そんな庶民的な橋も、バイクで通るとひどく怖い思いがしてならなかった。自転車で歩行者とすれ違いざまによろけて川に落ちたとしてもまだ、自分も自転車も何とか助かりそうだが、バイクで落ちた日にはバイクは絶対に助からないだろうという思いがいちいちよぎって、小心者の僕はびくびくしながら通行した。
 さておき、しらばく川岸を走っていて気づいた事がある。これには驚かされたけれど、先ほどまでひどく濁っていた川が、下流に向かって流れている間に徐々にきれいになっていくことであった。次々に小さな支流が合流しているせいかもしれないけれど、明らかに流れれば流れるほど澄んでいく、という感じだった。
 あのカヌーイスト様がこんなことを聞いたら「この大馬鹿野郎、そんなの当たり前じゃないか」と呆れ返るかもしれないけれど、僕の中では「川は最も上流が一番澄んでいて、流れれば流れるほど濁って、海に出る時が一番汚れている」というイメージしかなかった。どんな川でさえ少なからず生活排水や土砂が徐々に混ざっていくだろうからそれは避けられない、と思っていた。と言うより、それが当たり前だと思っていたからそんなことを考えた事もなかった。
 それがここでは明らかに違った。ゆっくりと、しかし深く大きな川の流れはいつでも曲がり曲がっていて、両岸の山の斜面の至る所から小さな流れがこの大きな川に注いでいて、その小さなたくさんの流れがこの川そのものと言ってもいいかもしれないけれど、たとえ一度川が濁ってしまっても、支流や曲がりくねった流れや川を覆う自然が、その流れをどんどん浄化していくのを、まさに肌で感じる事が出来た。
 これはバイクに跨ってのんびりと川岸を走っていたから気づいた事で、もしかしたら自動車では気づかなかったかもしれない。しかしそう思えば思うほど、バイクより自転車、そして自転車より、まさにその川面を行くカヌーの方が当然ながらより一層、川というものが見えてくるのであろう。だからあのカヌーイストは溢れんばかりの川への思いを、みんなにもっともっと知ってもらおうと精力的に数々の本を書いたのだろうと、この四万十川流域を下ってきた僕はしみじみ思うのであった。
 そして日が暮れて何もかも見えなくなるというちょっと前に、ようやく河口に辿り着いた。誰もがそれと分かる印象的な、古めかしい赤い鉄橋が四万十川橋である。その頃は小雨も降ったり止んだりだったので、せっかくだからその橋の下にテントを張って落ち着いた。
 出発が昼頃だったというのと、四万十川の流れと共にゆっくり下ってきたというのもあってあまり走行距離は稼げなかったが、遅く着こうが早く着こうが、この近辺に泊まろうと思っていた。途中大雨に遭ったり、またとんでもない山奥で道に迷ったりもしたのだが、その時思ったことはまた後日書くとしよう。とにかく今日の終わりに憧れだった四万十川の川原にテントを張って落ち着いて、満足感いっぱいの一日だった。
 

 
タクシーが待っていたりと観光地らしい景色だが、ここ道後温泉は意外にそう思わせない感じがあってとても気に入った。
因みに風呂自体は意外と近代的で清潔感あり。


 
左:いかにも四万十川らしい景色を醸し出している沈下橋のある風景。
右:それにしてもこの橋をバイクで渡るのは正直怖かった。
もちろん、仮にできたとしても、橋の上でUターンをする気にはなれない。


【走行距離】 本日:289km / 合計:8,278km
愛媛県松山市 〜 高知県中村市

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