■旅行記 ”日本一周旅行” 31日目 : 見上げたその先に  (1996.09.07 Sat)

 昼間の蒸し暑さがまだまだ残る夜、市街地の公園内を通る小さな川のすぐ脇にテントを張った。その川の両岸には色白のブロックが敷き詰められ、ちょっと洒落た遊歩道になっていて、その遊歩道に沿って車止めのように等間隔に並べられた背の低い照明が、道や川面を照らし、そしてこの公園の夜景を彩っていた。
 しかし対岸に目をやると、ひとつも動かず、ひとつも鳴かない巨大な象のように、原爆ドームが静かに立っている。広島という大都市の真っただ中にひっそりと、しかし見る者に何かを強烈に訴えかけてくるその建物は、例外なくこの僕にも黙ったまま何かを強烈に訴え続け、そして今にも倒れてきて、この僕をテントもろとも押し潰してしまうのではないかという威圧感があった。そして、ここからは見えないけれど、広島市民球場から時折聞こえてくる夜の市街地に響き渡る「ワーッ!」という大歓声を耳にする度に、これがあくまでも野球応援の歓声であって、51年前の断末魔の叫びたちでないことに胸を撫で下ろす思いがした。そしてあらためて、目の前にそびえ立ち、黙ったままのこの原爆ドームと目を合わせ、さらにはそのドームの先からするすると上空に向かって目をやると、あの瞬間を自分の知っている乏しい知識の限りで想像してしまい、それでもなお、まるで時間が止まったような錯覚に陥り、現在の平和な日本をのんきにバイクで走り回っている僕でさえ、恐怖によって目を失い、息が止まってしまうような思いがした。
 僕が広島に着いたのはまだまだ明るい夕方前で、その時初めてこの原爆ドームというものを見た。その時は「思っていたよりも随分と小さいな」という印象があったが、それでも都会の景観とはあまりにも不釣合いなこの建物が、今も変わらずここから世界に向けて訴え続けてきた51年前の出来事を感じるには充分であった。それが夜になり、低い位置にある対岸の遊歩道に座り込みそれを見上げてみると、ライトアップのせいもあるだろうけれど、冒頭で述べたように驚くほどの存在感が牙を剥くのであった。
 今朝、大分県は湯布院を出発し、遠回りして福岡県の山田市へ行ってみたり、本州に渡る直前にはバイク屋に寄って予備のタイヤチューブを手に入れたり、走行中、右手に見える瀬戸内海の美しい島々の景色に目を奪われたりと、ここ広島に着くまでにもいろいろあったとは言え、テントの中からずっと見ているこの建物が物語る歴史の大きさから比べたら、ほんとうに些細な事であって、つい忘れてしまうくらいであった。
 とは言え、僕は僕で今日も400キロ余りの道をせっせと走ってきたのである。ただ単に名前が同じという以外、縁もゆかりもまったくない福岡県の山田市を訪ねたのは今でも疑問に思うくらいだが、線路が撤去された草だらけの踏切があったり、地図の上ではあるはずの駅が更地になって駐車場になっていたりと、妙に同情してしまった。昔は炭鉱で栄えていたというだけあって、確かにそれなりに市街の風格というものを残してはいたが、それは今まで各地で見た、寂れかけた街の風景と同じで、「ここもか」という、やはり同情の思いが募るばかりであった。それにしては立派な市役所や学校が目に付いたが、維持すべきものといったらもうそれくらいしかないのかもしれない。
 名前が同じだけなのに、結局後ろ髪を引かれ名残惜しさ一杯でそんな山田市を出発した後は、先程も述べたように、九州の玄関口である門司の、あるバイク屋を訪ねた。
 実はそこは僕が九州に入ったばかりの時に寄った店で、実は実はその時に、タイヤのチューブを注文しておいたのだった。この旅行を開始してはや二日目で予備のチューブを使ってしまい、ずっと今日まで、予備はなかったのである。とても危険な状態だったわけだが、道中、すぐにチューブが手に入るバイク屋が無くて、チューブの仕入れで数日かかるので、そんなに待つ余裕もなかったのである。今思えば函館か札幌も数日後に再び通るのでそんなチャンスはあったのだが、結果的にはここまで再びパンクは起こることなく、ようやくここで手に入れたというわけだ。僅かとは言え、これから先、家に帰るまでの道中お守りみたいなものである。
 さて、そんなこんなでやっと本州に戻ってきて、今度はいよいよ太平洋岸である。太平洋側は日本海側と違って道はごちゃごちゃだし混雑も多く、あまり快適爽快な走りは期待できない。しかしまださすがに大都市がないのでまずまずというところであったが、ただ道路はやはり片側一車線のところがほとんどで、前に遅い車がいるとそれに従って走ることを強いられた。だから多少気持ちに余裕があったのかもしれないけれど、山口県の徳山市から広島の手前、宮島の辺りまでは走りも景色も楽しめた。
 話はまた公園に戻る。やっと昼間の熱気が落ち着いてきた頃、高校生などの若者たちがこの遊歩道に繰り出してきた。別に広島だけが特別というわけではなく、どこの都市部の公園もそうだろうけれど、みんなでわいわいやっている連中もいれば、二人きりでひそひそ話しているカップルなどいろいろだった。ただこの川を挟んだ公園の景色はライトアップの演出でとても洒落ていて、高校生にはもったいないくらいだった。それはさておき、そんな彼らの話し声はテントの中からはよく聞こえるので気になって仕方が無かった。あまりに気になるときはどうせ眠れないし、「ここに人が居るんだぞ」と誇示するように外に出て、トイレに向かったり水を飲みに行ったりする。そうすると向こうも「あ、中に人が居るんだ」ということで、声を小さくしたり、邪魔だと思って別の場所へ移動してくれたりする。しかしそれでも、やれ変なところにテントが張ってあるねとか、変なバイクが停めてあるとか、こちらに顔を向けて話す言葉は特に聞こえるものである。
 一度、テントの外で僕を呼ぶ声がするので外へ出たら公園か何かの警備員で、「こんなところにテントを張ってると警察に『どけ』と怒られるぞ」と、ちょっと妙な言い回しで注意するものだから、「それなら警察に『どけ』と怒られたらテントをたたみます」と、こちらも妙な言い回しでなんとか難を逃れた。テントを張って一度落ち着いたのに、こんな夜更けにまた移動というのはほんとうに億劫だから、そんな機転の利いた返事で警備員を牽制した自分がほんの少しだけ誇らしかった。
 現在の平和な都会の風景と、二度とあってはならない過去の幻影が交錯する、とても印象深い夜だった。

 
左:市内で一番目立っていた山田市役所。
右:今は駐車場になってしまっているがちょっと前まではここに駅舎があったらしい。線路も撤去されていた。


 
今では日本の至る所で目にすることが出来る風景。でもやはり何となく寂しい色をしている。(山田市内)


  
テレビでは毎年のように観るものの、やはり実際に目の当たりにすると新たに感じることは数知れない。


【走行距離】 本日:424km / 合計:7,594km
大分県大分郡湯布院町 〜 広島県広島市中区

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