■旅行記 ”日本一周旅行” 24日目 : そこでみえたもの  (1996.08.31 Sat)

 実は、博多で水風呂に浸かった後から調子がおかしかったのだが、遂に風邪を引いてしまった。全身やけどに腰痛にこの大雨で、さすがに参ってしまった。
 長崎に着くまでもそうだったが、長崎から熊本に向かう時も、地理がよく分からず、随分と迷ってしまった。地図を見ながら「ここは国道を逸れて海岸の細い道を進もう」などと、なるべく海岸線を辿ろうと無茶をした挙句、散々遠回りしたのに結局意図しない道路に出たり、結局元の道に戻ったりと、とにかく思うように事は進まなかった。
 持参した地図は、2年前に自動車の免許を取得した時に教習所からプレゼントされたばかりの全国道路地図であるが、道路は本当にびっくりするほど変わってしまうことがあるから、全部が全部、地図の通りにというわけにはいかない。ましてや全国地図だから、交差点や車線などまで詳細に書いてあるはずがない。さらに、ちょくちょく地図を見たいがためにバイクを停める気にもならないし、当面の目的地までの行程を記憶しておけるほどの頭も持っていない。だから時に、街や往来の雰囲気で走ったり、太陽や海岸線や川や線路といった、大まかなものを物差しにして進んだりするが、気づいた時には時既に遅しで、Uターンの出来ない立体交差や大きく曲がった川の土手、いい加減渡る事のできない線路やバイパス工事の標識を見落とし、急に行き止まりになっている国道など、行く手を阻むものはたくさんある。
 それも、時間がある時、元気な時は笑ってやり過ごしたり戻ったりできるが、こうも調子が悪いとその都度、旅の意味さえ考えるようになってしまう。
 「もうやめた、帰る!」と思っても、もう一人の自分が「じゃあ帰れ」と静かに言う。
 ここは長崎だ。もう先に進もうが、後に引こうが、埼玉までの道のりに、さほど変わりはないのである。ここにバイクを置いて帰るわけにもいかないし、バイクに乗って帰ったら、それはほぼ旅行を終えた事になる。「ああ情けない」と自分で自分を憐れに思う。
 そんな自分をさらに追い詰めるのは、僕を送り出してきた人々の面影だった。「頑張っておいで」と見送ってくれた大人たち、そして訳も分からないのに目をきらきらさせて「行ってらっしゃい」と言ってくれた子供たち。出発前に「そんなのお前に出来るのか?第一意味がないよ」とからかってくれた大学の友人たち。そしていたずらに「日本一周でもしてみたら?」とささやいた、自分を惹きつけ、そして自分を駆り立てた人。様々な顔が浮かんでくる。面影は大小様々であるが、その中には自分はいない。
 自分は一体何のために走っているのか。ただ脚光を浴びたくて、誰かに認めてもらいたくて、振り向いてもらいたいために、ただそれだけのためにこんな奇妙な事をしているのか。いろいろな大義名分をぶら下げて走っているだけで、剥き出しの本性はそれっぽっちであった。自分に打ちのめされたような気がした。
 思い込みの激しい自分は、そんな事を考えてはどんどん憂鬱のどん底に落ちていくのだった。しかしそれでも停まるわけにはいかない。と言うより、停まったところでもう何にもならないのである。景色などほとんど見ずに、ただスロットルを回し続けていただけである。
 これが自転車や、マラソンだったらとっくにリタイアしているだろう。バイク旅行はそんな柔な自分にぴったりなのだ。柔な奴が柔な事をしているだけじゃないか、と思った。
 そう思った途端、なんだか少しだけ気持ちが軽くなったのを感じた。情けない、情けないと思っているのは、自分に変なプライドが残っているからじゃないかと。自分はこんな旅をしているけれど、それは周りの人がしないだけで、やっている事はまったくもって平凡−−バイクに乗って、舗装された道路を進んでいるだけ−−なのだ。そして、隠しておきたいような気持ちから生まれたこの原動力も、別に隠す事も、言い訳する必要すらないのである。隠したり着飾ったりして、一体何になるのだろうか。
 自分にも、そして周りの人にも正直になって、ありのままを受け入れて、ありのままをさらけ出せばいいじゃないか。社会人という肩書きをスーツで大げさに表現して、「仕事で忙しいから」と口癖を言う人たちだって、その多くは自分のために働いているだけなのである。社会のため、世界救済のためにボランティア活動をしているわけじゃない。すべての人の時間はその人のためにある。それは決してなりふり構わず自我を貫くということではない。自分の中の自分を尊重することは、他人の中の自分を尊重する事になるだろう。
 しばらくそんな、難しい事を漠然と考えていた。それが真理だか、負け犬の遠吠えかは自分には分からないが、もうどっちでもいい。そうやってバイクを走らせ、そうやって時間の感覚を失ったまま、ようやく熊本に着いた。
 本当は熊本城に行ってみたかったが、あまりにも自分が無様な格好をしているので、人が集まるところに行きたくなかったし、やはりそれほど元気ではなかった。体調も、そして洗濯物のことも気になっていたので、早々に今日の走りを終えて、熊本駅近くの閑静な住宅街の中にある小さな公園にテントを張った。


まるでホテルのような見かけの熊本駅だが、よく見ると4階部分は屋上である。
今日はこの一枚しか写真を撮らなかった。


【走行距離】 本日:254km / 合計:6,312km
長崎県長崎市 〜 熊本県熊本市

一覧へ戻る】 【振り返る】 【次へ進む