■旅行記 ”日本一周旅行” 22日目 : 飛んで火に入る夏の虫  (1996.08.29 Thu)

 昨日の砂浜の小さな夏祭りの後は、未明まで断続的に雨が降っていた。よくも野外演奏と打ち上げ花火が開催できたものだと不思議に思うくらいだった。そして同時に、自分が雨男だということが腹立たしかった。夏は雨が多いのは分かっているけれど、もう少しだけ僕に都合よく降ってもらえないものかと天に祈りたいくらいだった。例えば、テントを張る場所や銭湯の場所を探している夕方や、朝、テントを畳んで出発の準備をするときなどの雨降りは遠慮してもらいたいものである。まるで脱皮をする虫のように、そのタイミングが一番無防備で致命傷を負いやすいのである。とにかく昨夜は断続的とは言え雨も風もひどく、そんなことばかり考えていたのもあって憂鬱で眠れぬ夜だった。
 しかし、朝になると今度はびっくりするような快晴が待っていた。僕がここ2、3日、いや、もっと長い間お目にかかれなかったような快晴だ。停滞していた秋雨前線がどこかへ行ってしまったようだ。こうなるとテントの中は猛烈な暑さになり、テント内の淀んだ湿気が熱気に変わり、まるでビニールハウスのように蒸し始める。
 待ってましたとばかりにテントの入り口を開け放し、荷物を全部外に出し、自分も外に出た。そばにあった長い木の棒を砂浜に突き刺し、そこに干し物をした。既に乾いているテントの表面にもタオルやTシャツを掛けて干した。元は小さかったが今は倍にも膨れ上がってしまった国語辞典はバイクの上に置き、シュラフと、その下に敷くマットは砂浜に広げた。お昼前まで、1時間、2時間と、昨夜までとは打って変わって開放感と爽快感でいっぱいのひとときをのんびりと過ごした。その間、自分も砂浜に敷いたマットの上で、海水パンツ一つで甲羅干しというわけだ。裸だったせいか、直射日光を受けていたけれどそれほど暑く感じず、逆に砂から上がってくる生暖かさを懐かしがるように横になっていたら、昨夜の寝不足のせいか少しばかり眠ってしまったほどであった。
 お昼前かお昼過ぎか、正確な時間は忘れてしまったが、小学校低学年らしき男の子が一人で僕のテントを、遠巻きに、しかし興味あり気に見ていた。幸か不幸か僕も独りでつまらなかったのでその坊やを話し相手にした。大きな空色の箱の付いた紺色のバイク、砂浜に無造作に張られた黄色いテント、そのどれもがその子の興味の的だったようだ。恥ずかしながら、当時の僕にはそれが嬉しかった。
 しかし参った事にその子は、遂にテントの中にまで興味を持つようになった。中には何がある、やれ入れてくれ、と、動き回るようになった。テントは開け放してあったけれど、正直、砂だらけの格好でその中に入って欲しくなかった。しかし既に僕に懐いてしまい、さっきの恥じらいは忘れて、困った聞かん坊になっていた。今となっては不思議に思うけれど、まるで長兄か父親のようにテントに入ろうとするその子をつまみ出したり、砂浜で相撲を取ったりした。子供は有頂天になりどんどんムキになってどうにかしてテントに入ろうとするし、こっちも大人気ないがせっかく干してきれいにしたテントをここで汚されてはなるまいと、必死に抵抗して、遊んでいた。
 にっちもさっちもいかないので機転を利かせ、その子に「おい、テントはいいから、あのバイクに乗せてあげようか」と訊くと、その子は再びためらいを取り戻して静かになった。作戦は見事に成功した。砂浜を走るわけにはいかなかったが、海岸線に平行に走る細いアスファルト道を何往復かした。ゆっくり走らせたとは言え、その子は興奮しきっているように見えた。
 思えば僕も小さい頃、新聞屋のおじさんや、外出先で知り合ったお兄さんにバイクに乗せてもらったりして、ひどく興奮した。自分ではどうにも出来ない、自転車よりはるかに大きくてはるかに重く、構造が難解で騒音やかましく、しかし速くて疲れないその乗り物を悠々と乗りこなす大人たちを見て、その人たちに絶大なる尊敬の念を抱いたものだった。
 そんな事を思って走っている間に、その子の父親が掘っ立て小屋の上で作業をしている姿が見えた。その子がバイクに乗る前に教えてくれたのだが、その父親は海の家の解体作業をしていた。どうやら海の家は昨日の祭りで今シーズンの営業を終えたらしい。その海の家は毎年毎年、組み立てては畳むらしい。
 その後父親は、「自分が作業をしている間、子守をしてもらってありがとう」と丁寧にお礼を述べてくれた後、子供の手をとって帰っていった。僕は、もう二度と会うことのないその小さな友達と「じゃあまたな」などと無責任な挨拶を交わして別れた。僕は、子供の頃に、置きっぱなしにせざるを得ない古き良き思い出の数々に、まるで少しばかり恩返しをしたような気分になった。「ありがとう」と言って帰って行ったその子にも、いつかこんな日が来るだろうと、これまた無責任だが期待した。
 さておき、またいつものように一人に戻った僕は、さすがに灼熱の太陽が傾き弱まってきたのを感じて、出発の準備をした。ちょっと長居が過ぎたかもしれないが、もう今日はそれほど遠くまで行く気はなかったから気にしない。幸い、博多の中心まではそれほど遠くもないし、中心地なら公園も、銭湯もあるだろうと軽く考えていた。
 しかしある面に関しては、もっと慎重に考えるべきだった。出発しようと服を着た際に遅まきながらそれを知ることとなる。服やジーンズが肌と擦れる度にひどく痛むのである。
 大やけどである。走り出した直後はそうでもなかったけれど、時間と共に痛みは増し、赤みも帯びて、ひどいところは紫に近い色になった。鳥肌が立ち、震えて、冷や汗が出るほどだった。
 博多に到着し、すぐ近くに公園もあって、天気と寝床については問題なかったのだが、待ちに待っていた入浴の時間は残念ながら大問題だった。全身が痛くてお湯がかけられないのである。そして湯舟にも入れなかった。
 銭湯で会った人々は、同情というより呆れた眼差しで僕を見た。当然だが見てみぬ振りをしたり、単刀直入に「ばかだねぇ」と言う人もいたが、僕が返す言葉はうつろで、水で体を洗い、震えをこらえて水風呂に浸かり体を冷やした。こんなに憂鬱で惨めな入浴は生まれて初めてである。
 有頂天だったのは砂浜で会ったあの子より僕の方だったようだ。今更知ったところで後の祭りだが、駅前の公園のテントの中で、まるで入院患者のように、息も絶え絶えに横たわって休んだ。

 
芦屋海岸にて。久しぶりの爽快な朝である。
荷物を出し服を脱ぎ、あらゆるものを乾かしたが、有頂天になり過ぎ、重度の日焼けに苦しむ羽目に。


【走行距離】 本日:68km / 合計:5,864km
福岡県遠賀(オンガ)郡芦屋町 〜 同博多市博多区

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