■旅行記 ”日本一周旅行”  1日目 : いざ出発  (1996.08.08 Thu)

 別に、出発が遅れても列車や飛行機に乗り遅れることもなし、「やめた!」と放棄しても乗車券が無駄になることもなければ、ツアーのキャンセル料を取られたり、渋々翌日出発したとしても宿が取れなくて困るわけでもない。
 かと言って、やはりどうしても今日、出発したかった。しかし昼が近づいても、準備はまだまだ終わっていなかった。天気もそれほど良くないし、お泊まりの遠足を嫌がってぐずる子供みたいにイライラしていた。
 ただただ恥ずかしいというか、自分で出鼻をくじいてしまった格好だが、何か忘れ物をしているのではないかという不安感を抱いたまま、最終的に家を出たのは午後3時だった。もう、太陽というものが日没を意識し始めて、日差しが弱まった気がする時間である。そんな中、貴重な時間を取り戻そうと慌てて走り始めたのだった。しかし、傍から見た光景としては、ちょっと近くの川原までバーベキューに出かけるという程度にしか見えなかったと思う。
 話が逸れてしまったが、冒頭で、「何にも追われない」と言ったけれど、まったくそうかというと、実はそうではなかった。今夜は土浦の親戚の家を目指すという目標があったし、夜中に到着しても失礼だし、見ず知らずの北海道の親戚のところにも、お盆前に伺うという知らせをしていた。さすがの僕だって、「たどり着けないから、行かない」と電話をして、ハイ、それまで、とはやりたくなかった。
 本当は、自分が旅の基点と決めていた浅草橋を出たら、これも自分で決めた左回りにならって、東京湾から千葉県を一回りしてから土浦へ行こうと考えていた。しかし今となってはそんなことをしたら日が沈むどころか夜が明けてしまうので、房総半島走破は、めでたく日本一周をして再び関東に戻ってきた最後にやろうと、課題を未来に丸投げしてしまった。
 さて、そんなことを頭の中でくよくよ考えながら、一度も訪れたことのない本籍地、東京の台東区浅草橋へやってきた。もうとっくに夕方だった。父親がまだ赤ん坊だったころに住んでいたところで、敗戦直後の混乱でまったく縁がなくなってしまった土地である。訪ねてみたところで今となっては何の縁もゆかりもないのだが、僕は随分前からその浅草橋を「すべての始まりの場所」と決めていた気がする。
 とにかく、自宅から国道254号線で都内へ向かい、浅草橋に寄ってから一路、国道4号線を北上して土浦へ向かった。故郷の我孫子市をかすめ、ようやく土浦へ着いたのは午後9時ごろだったように記憶している。
 過程はさておき終わってみれば、顔見知りの親戚に歓迎され、既に「いやぁ、よくここまでやって来た」という妙な満足感がした気分の良い日だった。


左:出発前に姉と記念写真。冗談半分で「最後の写真」とばかりに仲良く撮る。
右:シュラーフ(寝袋)が箱に入らなかったのが予想外でショックだった。
しかし前方のアルミマットとセットでいかにも旅行者染みているので悪い気はしなかった。



浅草橋一丁目の「左衛門橋」という小さな橋から撮った。
住所からしてまさにこの川岸に父親の生家はあったようだ。


【走行距離】 本日:137km / 合計:137km
埼玉県比企郡鳩山町 〜 茨城県土浦市

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